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7_小澤 基

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みなさんこんにちは!No.21の小澤基です。
早速ですが、今回は私の24年間を簡単に紹介したいと思います!

8月の暑い日に小澤家の次男として生まれました。
3つ離れた兄がいるのですが、当時両親は女の子が欲しかったみたいで、小さい頃はよく母のおもちゃにされていたと聞いています。

それに対する反発もあって?幼少期はやんちゃ坊主だったそうです。
ソファーの上で飛び跳ね転び、手に持っていたボールペンで顔を血だらけにしたり、ごはんを1口食べたら走り回り、口の中が空っぽになると席に戻って来たりなど、私自身が驚くような話がたくさん出てきます。

母のおもちゃ

そんな私は、幼稚園の頃から負けず嫌いだったそうです。記憶にはないですが、親子対抗リレーで逆転された父に泣いて怒ったそうです。

そんな性格も相まってか、ハンドボールは、兄が小学校に作られたクラブにたまたま入部したことをきっかけに、追いかけるようにして始めました。小学校、中学校では大きな大会には縁がなかったのですが、地元でハンドボールを楽しんでいました。

ちなみに、息子には野球をやらせたかった父が、兄弟そろってハンドボールを始めてしまい落ち込んでいたのを知ったのは、大学に入ってからでした。笑
小さい頃、新聞紙でバットを作り家の中で野球をするなど、父がやる気満々だった記憶があります。

小学生(前列のカメラ目線の子)

中学3年生の時、みんなで楽しくハンドボールをしていた所属チームから、私1人だけJOC選抜に選ばれ、初めて全国大会を経験しました。その年のJOC大会で圧倒的に優勝した沖縄、名門校があつまる茨城と、最悪の予選リーグで2試合とも大敗しました。初めて出場した全国大会で、レベルの違いに自分とは違う競技をしているのでは?と錯覚したのを鮮明に記憶しています。

高校はJOCメンバーと同じ学校を選び、初めて勝つためにハンドボールを頑張りました。
その甲斐あってか、約2年間北海道内では無敗、高校3年生の頃U-19に呼ばれ、JOCの時に目にした猛者たちと同じチームでハンドボールをしました。

ここで康本選手と初めて同じチームになりましたが、当時から世代を代表していた康本選手に対し、北海道のド田舎からきた私は、恐れ多くあまり話せませんでした。
今はとても仲良しですよ!笑

高校生(右から2番目。3番目は康本選手)

その後、大学はいろいろな縁があり、日本大学に進学しました。日本大学での生活は想像を絶するもので……(ここでは語れませんが(小声))、しかし、仲の良い同期と、たまにやさしい先輩方に支えられてハンドボール、人間性共に大きく成長させていただくことができました。この4年間のおかげで、今の私がいる……と信じたいものです。笑

大学卒業後は、教員になって北海道のハンドボールに恩返しをするか、日本リーグで続けるか悩みましたが、小さい頃よく父に言われていた「結果は後からついてくるもの。とりあえず頑張れ」という言葉を思い出し、日本リーグで続けよう!と決心してフェニックスにお世話になることに決めました。
私も将来は子供の決断を支えられる父親になりたいです。

振り返ってみると、ハンドボールしかしていない人生です。
しかし、幸せな事ですね。好きなことを好きなだけやらせてくれた両親に感謝しています!

最後になりますが、日本リーグが開幕しました。
各カテゴリーで大会が中止になる中で、たくさんの方の協力によって開幕できたことに感謝しています。また、大会が中止になった学生の分まで全力でリーグ戦に臨みたいと思います。
今シーズンも応援よろしくお願いいたします!

999_OB

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皆さん、こんにちは。
No.23 痛快、爽快、佐藤快です。

コロナウイルスの影響により、直近では全日本大学選手権(インカレ)も中止となり学生の皆様はとても寂しく、悔しい思いをされていると思います。ですが、決して今までやってきたことが無駄だったなんて思わないでください。
今まで培ってきた物は、みなさんの財産です。これからも共に戦ってきた仲間や恩師との出会いを大切に、心身ともに学んできたことを忘れず、未来に向かって頑張りましょう!

では、私の生い立ちについて書きたいと思います。

私は1996年11月13日に生まれました。
なんと、俳優の木村拓哉さんと同じ誕生日です!!笑

小さい頃はウルトラマンが大好きで、負けん気も強い上に短気だったので、友達と喧嘩をしてよく母に叱られていたそうです。母は、息子があまりにも短気なので優しい気持ちを分かってほしいとハイジを観させていたそうです。笑
その甲斐あってか今は少しマシになった気がします。笑

2歳のやんちゃな佐藤

小学生では習い事でハンドボールとサッカーをしていて、ハンドボールは東海ハンドボールスクールに所属していました。挨拶や礼儀など、人として大切なことをたくさん学ばせていただきました。

中学生でもハンドボールとサッカーをしようと思っていたのですが、中学に上がる前に名古屋グランパスの試験を受けてみたところ…なんと合格していました!しかも、ゴールキーパーです。
チーム名をもう一度言います。名古屋グランパスです!!笑
なぜ受かったのか正直わかりませんでしたが、その時 私は確信しました。僕はもってると。笑

中学校の3年間はサッカーに専念しました。チームに入れたことは良かったですが、シュートも早くてみんな上手で、本当についていくのが大変でした。ゴールキックもコートの4分の1しか飛ばなかったので、チームメイトにはたくさん迷惑をかけたのを思い出します。
ですが、中学2年生の頃には、全国2位になることが出来たので悔しさもありましたが、僕でもここまでこれるのかと感動しました。(DFが上手すぎてシュートがほとんど飛んできませんでした笑)スペイン遠征でビジャレアルと戦うなど、良い環境で強い仲間と勝負の世界の厳しさと楽しさを実感できました。
当時のチームメイトには現役Jリーガーもいます!

でも、高校のカテゴリーに上がるとき「どうしてもハンドボールがやりたいです」と気持ちを伝え、コーチと何度も面談を重ねたのち、頑張れと送り出してくれました。ここで僕はサッカーをやめ、ハンドボールの道を選びました。

名古屋グランパス時代(2列目1番左)

高校は縁があって長崎県の瓊浦高校に進学しました。そこで、恩師である末岡先生(大同特殊鋼OB)からハンドボールを学びました。最初は3年のブランクもあり、ついていくのがやっとでした。でも、末岡先生は将来を見据え個人に合わせた指導をしてくださるので、DFや1対1など、自分にできることをたくさん増やしていただきました。
また、長崎の地元国体に出場できたことも貴重な経験となりました。

高校時代

大学は父が監督をやっている大同大学に進学しました。実は、日体大にも行きたかったので、康本選手と同じチームで小澤選手とは関東リーグで戦っていたかもしれませんね。笑
それも絶対楽しかったと思いますが、私は大同大学を選んで本当に良かったと思っています。
怪我でプレーをすることがあまり多くはなかったですが、裏方の大切さや応援する側の気持ちなど、チームスポーツの中で最も大切な部分をとても勉強できたからです。また、4年生の春リーグでは、私がキャプテンとして監督である父を胴上げできたことがこれまでの人生で1番幸せな時間でした。

色々な方が支えてくださったからこそ、私は今、憧れの大同特殊鋼でハンドボールができています。今ある幸せを当たり前と思わず、今後も一生懸命頑張りたいと思います。

今シーズンも応援をよろしくお願い致します!

試合結果

日本ハンドボールリーグ開幕戦の相手は、トヨタ紡織九州。2人の韓国人選手と日本代表のゴールキーパーを擁し、堅守速攻を武器にスピーディーなハンドボールを展開してくるチームである。この試合は新型コロナウイルスの影響でリモートマッチとなるが、会場の環境に左右されることなく自分たちのハンドボールを展開し、勝利を収めたい。

フェニックスのスローオフで試合が始まる。開始早々、加藤が獲得した7mスローを東江が冷静にゴールに沈め、先制点を奪う。立ち上がりは堅いディフェンスとゴールキーパー久保の好セーブが噛み合い、失点を最小限に防ぐ。東江の3連続得点や加藤の体を張ったポストプレー、杉本の速攻で連続得点し、前半11分で8-1とスタートダッシュに成功する。しかし、その後オフェンスのミスから相手に速攻を許すなど21分には10-6とリードを縮められてしまう。得点が伸びない苦しい時間帯が続く中、池辺のカットイン、吉田のサイドシュートで反撃するも、相手の果敢な攻撃を守り切れず、5連続失点で28分に13-12と1点差に迫られてしまう。流れを取り戻したいフェニックスは杉本の7mスロー、加藤のポストシュートで2連続得点を奪い、前半を15-12の3点リードで折り返す。

後半、突き放しにかかりたいフェニックスであったが、開始早々に相手エースに得点を奪われてしまう。すぐさま吉田のサイドシュートで反撃し、東江、杉本、小澤の3連続得点で後半5分で19-15と再びリードを広げる。しかし、ここから連続得点が奪えず、シーソーゲームが続く中、相手の多彩な攻撃を守り切れず4連続失点を喫してしまい、20分に25-24と追い上げを許してしまう。小澤のカットインをきっかけにフェニックスのオフェンスに勢いが戻るが、一進一退の攻防が続く。28分の勝負所で小澤が果敢に相手ディフェンスの間に切り込み7mスローを獲得。これを東江が確実にゴールにねじ込み、31-29で勝利した。試合運びに課題を残したが、6ヶ月ぶりの公式戦を白星で飾ることができた。

久保の好セーブでピンチを凌いだ

PICK UP選手

池辺選手

相手ディフェンスを切り裂いた

多くの方々に支えられ無事に開幕戦を迎えられたことに感謝します。大事な初戦を勝ち切ることができて良かったです。この流れのまま今後のリーグ戦を勝ち抜けるように頑張ります。

東江選手

華麗なゲームメイクが光った

開幕戦を勝利で飾れてとても良かったです。苦しい場面もありましたが、総力戦で戦い抜くことができました。課題はたくさんあるので次戦に向けて修正を重ね、良い状態で試合に臨みたいです。

お知らせ

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メンバー紹介ページの個人成績を更新しました。

19年度成績を反映しました

お知らせ

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今シーズンの日本リーグは新型コロナウイルス感染防止のため、「JHL新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン(JHL プロトコル)」に基づき、試合開催レベルが4段階で設定されます。(各レベルの説明は下の画像でご確認ください)

これに合わせて、試合ごとの開催レベルを確認できるように試合日程に「開催レベル」の表示を追加しました。

今後は開催レベルが判明した試合から順次、更新していきます。

開催レベル欄を追加し、見やすく色分けしました

お知らせ

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記者発表に臨んだ地引監督と加藤主将

8月24日に開かれた第45回日本ハンドボールリーグの開幕記者発表に、大同特殊鋼フェニックスからは地引監督、加藤主将が参加しました。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ウェブ開催された記者会見では各チームから今季のスローガンと抱負の発表などがありました。

<大同特殊鋼フェニックス>
【スローガン】 

【抱負】(加藤主将)
 まず、このような時期に日本ハンドボールリーグを開催する意義をしっかり考え、熱いプレーで応えたいです。
チームは日本一奪還のために、トレーニングをしてきました。チームスローガンである「徹底」の通り、チームの約束事を徹底し、目標に向かって熱く戦っていきます。

6_康本 侃司

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みなさん、こんにちは。
『withコロナ』ということで、さまざまな制限がある中で、今できることに全力投球しているNo.22康本侃司です。
新型コロナウイルスが流行して、いろいろな方面で自粛が強いられていると思いますが、引き続き危機感を持って感染予防をしていきましょう。

さて、今回は【自分の生い立ちシリーズ】ということで早速、私の生い立ちについて書きたいと思います。

私は1996年4月19日に千葉県柏市で生まれました。

生後3カ月の康本です!

小学生の頃は塾にそろばん、水泳と毎日習い事をしていました。
そろばんを1番頑張っていましたが、今では掛け算と割り算のはじき方もわかりません。笑
2番目に頑張っていたのは水泳で、小学1年生から6年生まで続けていました。
康本家では小学生の間は辞められないというルールがあったからですが……。笑

ハンドボールを始めたきっかけは、小学6年の10月に父の母校に行ったことでした。たまたま、その時に松葉中学校のハンドボール部が練習をしていて、一緒にハンドボールをしました。小学生の自分が、中学生相手でも点が取れたということが嬉しくて、その日のうちに小学生のハンドボールチームに入団し、ハンドボールを本格的に始めることになったのです。

小学生の頃(5番の選手です)

千葉県の中学校にはハンドボール部が少なく、特に私の住んでいた柏市には松葉中学校しかありませんでした。中学生の頃は、地引監督や池辺選手が卒業した「けやき台中学校」や小林アナリストが卒業した「手代木中学校」など、強豪中学校の多い茨城県に勝ちたいと頑張っていました。結局、勝てませんでしたが……。笑

高校では、そんな茨城の選手たちとプレーしたいと思い、茨城県の藤代紫水高等学校へ入学を決め、全国大会優勝を目指して頑張りました。
高校では、恩師である滝川先生にハンドボールだけではなく、人として一人前になれるように指導をしていただき、またU-16、U-19カテゴリーで海外の選手とも戦い、とても良い経験ができました。

春の選抜大会と国体では、同期の小澤選手と2度戦っています。もちろん勝ちましたが、今となっては同じチームでとても仲良し!
同じく同期の佐藤選手とは選抜大会で同じホテルに泊まっていたことがあります。佐藤選手は私のことなんて覚えていないと思いますけど。笑

今思えばこの二人とチームメイトになるとは思わなかったですね〜。笑

高校生時代(14番の選手です)一番左は友兼選手です!

少し話が脱線してしまったので戻します。

高校卒業後は、伝統があり、よりハンドボールに打ち込める日本体育大学に進学しました。

日本体育大学では4年の時に副キャプテンを務め、インカレではベスト8でしたが、チームをまとめる大変さや勝つための努力を学ぶことができました。

日本体育大学卒業後は、ハンドボールと仕事を両立しながら最多の日本タイトル獲得数を誇り、伝統のある大同特殊鋼フェニックスでハンドボールをしたいと思い入社を決めました。

まだ2年目ですが、ポジションのコンバートや長いリーグ戦の中での試合など、戦っていく厳しさなど痛感しています。

以上!私の生い立ちでした。書きたいことは山ほどありますが、書き切れませんね。

今シーズンは来場者数の制限やリモートマッチなどもあり、去年のようにファンのみなさまに会うことは難しくなっていますが、今シーズンも全力で頑張りたいと思います。

応援よろしくお願いします!

お知らせ

トピックス

新型コロナウイルス感染防止のため、試合の延期およびリモートマッチ(無観客試合)での開催が決まった対象がありますので、ご連絡します。

今後も⽇本ハンドボールリーグ機構が定める「JHL新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン(JHL プロトコル)」に基づき、関係各所で協議のうえ、順次開催レベルが発表されますので、日本リーグの開催情報をご確認いただきますよう、よろしくお願いします。

なお、9月22日以降のフェニックスのホーム戦は、観客を入れての試合開催を予定しています。ただし、状況により変更となる可能性があります。

リモートマッチの様子は日本ハンドボールリーグ公式動画サイトJHLTVで無料配信される予定です。

【延期】
大同特殊鋼 対 北陸電力戦(8月29日)

【リモートマッチ開催】
大同特殊鋼 対 トヨタ紡織九州戦(8月30日)
大同特殊鋼 対 ジークスター東京戦(9月13日)

999_OB

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みなさん、こんにちは!No.9の中田凌河です。

前回、No.3伊藤選手が書いていたように、新型コロナウイルスの影響で少し期間が長引いていた新人研修が終わり、配属先が決まりました。また新たな環境の中でたくさんのことを学んでいます!

さて、さっそくですが、私の生い立ちについて紹介していきたいと思います!

前回の私の記事でも紹介したのですが、私は富山県氷見市出身です。
ハンドボールが盛んな地域なので、ハンドボールをやっている人なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
氷見市はハンドボール以外に寒ブリも有名で、脂が乗っていてとても美味しいです。
ハンドボールとブリを合わせた「ハンぎょボール」という、ご当地ゆるスポーツもあるので、ぜひ氷見市に遊びに来た際はやってみてください!(笑)

話を本題に戻して、私は小さい頃からスポーツが好きで、野球、サッカー、空手、バレーボールなど、たくさんのスポーツをしていました。小学生の時は、なかでも1番しっくりきたバレーボール1本に絞って練習に励みました。(自分の小学校に男子バレーボールチームがなく、隣の小学校まで行ってバレーボールをしていました。)
両親と姉の影響で、見よう見まねで始めたバレーボールでしたが、小学校6年生のときには、なんと富山県大会で優勝し、全国大会にも出場しました!

バレーボールの全国大会

そのまま、中学校でもバレーボールを続けようと思っていたのですが、友人に誘われて観に行った春の全国中学生ハンドボール選手権大会(春中)で、自分の通う中学校のハンドボール部がたくさんの声援の中、戦っているのを観て自分もハンドボールがしたいと思うようになりました。
最初はルールも分からなかったですし、今では身長が190cmありますが、当時はそれほど大きくありませんでした。中学3年生の頃は170cmで細身だったので、右利きながら逆サイド(右サイド)をしていたこともありました(笑)
ほとんどが中学校から始めた人ばかりだったのですが、地元の声援の力もあり、春中では3位に入賞することができました!

春中でのシュートシーン

高校は隣の市にある高岡向陵高校へ進み、仲間と共に日本一を目指しましたが、選抜・インターハイともに、その年の優勝校に当たって負けてしまい、国体は決勝で敗れ準優勝でした。

高校時代(ダルマ右横)

大学はすごく悩みましたが、恩師である大房先生の母校であり、実業団選手を多く輩出していて、日本一が目指せる日本体育大学に進学を決めました。
在学中には驚くことがおきました。みなさんもご存じかと思いますが、私が大学4年生のときに、日本代表でも活躍した宮崎大輔さんが、なんと大学3年生として入ってきました(笑)
最初はとても不安なことが多かったのですが、大輔さんは優しい人柄ですぐにチームに溶け込んでいました!フォーメーションや技術をたくさん教えていただき、とても良い経験になりました。日本一を目指した大学生活でしたが、最高成績はインカレ準優勝でした。

その後は、日本一をどうしても獲りたいという思いがあり、中学からの憧れであった大同特殊鋼に入社し、フェニックスの一員になりました。

少し長くなりましたが、出会う人に恵まれて、ここまで素晴らしいハンドボール生活を送ることができています!

最後に日本リーグ開幕まで残り2週間を切りました。新型コロナウイルスの影響でこれまでとは違ったシーズンになることが予想されますが、新人らしく全力で思い切ってプレーするので、応援よろしくお願いします!