チケット

BLOG

週刊フェニックス

23_佐藤 快

週刊フェニックス

みなさん、こんにちは!No.23の痛快、爽快、佐藤快です!

8月も中旬を過ぎ、猛暑に大雨にと気候の変化が激しい年となっておりますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?熱中症に注意して、水分をしっかりとりましょう。

いまさらではありますが……。

時が経つのは早いもので、あっという間に入社3年目に突入しました。一つ歳下の中田選手、二つ歳下には新入社員の末岡選手と堀田選手がおり、だんだんと先輩になるにつれ、もっと頑張らなければと強く感じさせられます。

さて、今回はその新入社員である末岡選手の末岡家と佐藤家の関係について書きたいと思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、私たち2人の父親は大同特殊鋼フェニックスでプレーしていました。ちなみに、私たちの母親は同じ名前で漢字も全く一緒なので、なんだか不思議な縁を感じます(笑)。私と末岡選手の兄が同じ年に生まれ、2年後に末岡選手が産まれました。私と末岡選手の兄は親友で、いつも2人で遊んでいたため、当時の末岡選手にはあまり構ってあげていなかったかもしれません(笑)。その頃の末岡選手は甘えん坊で、優しい心の持ち主なのですが、必ず何かやらかすのでよくお母さんに怒られており、泣きべそ小僧の印象しかありません(笑)。

左から佐藤妹、末岡選手兄、私、泣きべそ小僧(末岡選手)

楽しい日々が続いておりましたが、末岡家が長崎へ引っ越すこととなり、たくさん泣いたのを今でも覚えています。それから、長崎と愛知を1年に1回のペースで行き来するようになりましたが、お互い習い事が忙しかったこともあり、小学4年生からは会う機会が減っていました。しかし、私が長崎の瓊浦高校へ通うことになり、再会を果たしてまた縁が続くことになりました(笑)。
久しぶりに会っても、あまり久々の感じがしないのが本当に不思議でした。私が高校3年生になる時、末岡選手も新入生で入学し、共に練習に励みましたが一緒にコートに立つことはできませんでした。

嬉しいくせにツンデレな弟(末岡選手)

その後、お互い大学を経て、大同特殊鋼に入ることができました。私たちの父親の関係は、私の父が2つ歳下だったのに対し、息子は私が末岡選手の2つ歳上なので、関係がしっかり入れ替わっているのもなんだか不思議ですね(笑)。

小さい頃から弟のようだった末岡選手と、今こうしてチームメイトになれたことに本当に感謝しています。高校時代は叶わなかった、二人が同じコートに立つことを日本リーグという舞台で、お世話になった方々、応援してくださる方々にお見せしたいと思います!そして、一緒にプレーできる幸せを噛み締めながら、毎試合、全力で頑張ります!!

現在の2人
TICKET
チケット